平成の世との別れのとき。
そのさよならの向こう側に、燻るように、しかしギラギラと輝き続ける昭和が、
確かに私たちを照らしているのを感じる。
失われゆく昭和よ、来たるべき次代を照らす文化とならんことを。
音楽、ファッション、映画などのサブカルを中心にヴィンテージまみれの青春を20年以上ひた走る「おじさん女子」2人組L’amritaが、昭和歌謡の世界を、令和を迎えた日本を舞台に繰り広げます。

昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり

京浜急行の横須賀中央駅東口にある飲食店街「若松マーケット」を訪れてみました。

画像1: 昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり

戦後の闇市からはじまり、昭和34年に若松新生商業組合となったこの商店街は、永く地元の暮らしを支えてきました。その後、少しずつ商店が減りながらも今も80以上の飲食店が軒を連ね、駅から至近なこともあり夜はたいそう賑やかになりそうな雰囲気です。

画像2: 昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり

米兵向けの商店が立ち並ぶどぶ板通りで働く、バーテンダーやバンドマンたちの夜の憩いの場所として栄えたため、バーやスナック、小料理屋などが多いのがこの商店街の特徴。アメリカンなどぶ板通り、古き良き昭和の飲み屋街若松マーケット、という印象はそこから来ているんですね。

画像3: 昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり

そうそう、若松マーケットというのは、闇市や青空市だった頃の名残を残す、地元の方の愛称のようなものだったそうです。そういえば私のおばあちゃんも近所のプチ商店街のことを「マーケット」と呼んでいました。戦後、あるいは昭和(の神奈川県?)には商店街をマーケットと呼ぶ習慣や流行があったのでしょうか?
これもまた調べてみる価値がありそう…

画像4: 昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり
画像5: 昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり
画像6: 昼間の飲み屋街も乙なもの…若松マーケットをぐるり

昼間、まだ開店前の飲み屋街ってちょっとさみしい感じがするのはなぜでしょうか。
昔、ドラマや映画で見た、カーラーを巻いたネグリジェ姿の細眉美人にひょっこり出会えないかしら?なんて思いながら撮影していたら黒猫ちゃんが現れて、モデルのチャメリちゃんに少しづつ近づきながらしきりに話しかけています。そこ、私の場所よ!と言っているのでしょうか?
お邪魔してごめんね、私たちそろそろ次の街に行くわ…

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