「花写真の並木隆」として世に知られるように。
そんな宙ぶらりんな状態のまま数年後、ご存じのようにミノルタはコニカと合併、そしてカメラ事業をソニーへ営業譲渡という流れになっていきます。ソニーになってからもお付き合いはありましたが、当時のソニーはプロを求めておらずだんだんと疎遠になり、結果としてキヤノンだけで仕事するようになりました。
それから数年後、写真家よりも講師業の方がメインになりつつあった頃、キヤノンから手ブレ補正機構付きマクロレンズの広告の仕事が舞い込みます。当時としては画期的な新製品で、宣伝用の画像はもちろん、販促用の冊子の制作、企画写真展、はたまた「写真家たちの日本紀行」というテレビ番組への出演までというとても大きな仕事でした。
しかも、7月中旬に依頼されて、すべての撮影を8月いっぱいに終わらせるというハードスケジュールな上に、作品もこれまでのマクロレンズで撮影した作品とは違うイメージを求められました。でもね、打ち合わせをしている時点でそのイメージがなんとなく湧いてきちゃったんですよ。それって月カメの連載があったからなんです。当時のフィルムやマクロレンズではしたくてもできなかった表現がこのレンズならできるって。
この広告のお陰で、やっと「花写真の並木」と世の中に認知されるようになりました。ミノルタで仕事をしていなければキヤノンからのお誘いもなかったでしょうし、ソニーに営業譲渡されていなければキヤノンだけに絞る選択もなかったでしょう。
こうやって振り返るとがむしゃらにやってきただけですが、おれを育ててくれて認めてくれてる人がたくさんいたから、今があると思っています。改めてこれまで関わりのあった、すべてのみなさんに感謝しております。ありがとうございます。