※本記事は、豊田慶記氏の文章および撮影画像を再構成したものです
【豊田慶記氏プロフィール】
広島県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。メカに興味があり内燃機関のエンジニアを目指していたが、植田正治・緑川洋一・メイプルソープ等の写真に感銘を受け写真の道を志す。スタジオマン・デジタル一眼レフ開発などを経てフリーランスに。作例デビューは2009年。カメラ誌でのキャリアは2012年から。カメラグランプリ外部選考委員。日本作例写真家協会(JSPA)会員。
コシナの歴史 〜なぜ我々はコシナを手にするのか
長野県中野市に拠点を置く株式会社コシナは、自らを「偉大なる中小企業」と称する企業理念を掲げています。この言葉には、大手カメラメーカーであれば稟議すら通らないような、採算度外視とも思える企画を平然とやってのける、同社の気概と矜持が込められています。
我々がコシナのレンズ、すなわち「フォクトレンダー」ブランドのレンズを手にする理由は、単なるスペックの追求ではありません。アルミや真鍮をふんだんに用いた金属鏡筒の質感は、手に取れば「実用可能な工芸品」のごとき仕上がりに圧倒されます。
フォーカスリングの適度なトルク、絞りリングが奏でるクリッキーな音、そしてひんやりとした金属の感触。コシナ製品は、ハンドリングや所有する喜びを含めた「撮影体験」そのものをデザインしており、触れるだけでコシナクオリティを感じ取ることができるのです。
オートフォーカスで誰でも手軽にピントが合い、綺麗に撮れる現代において、なぜあえて不便なマニュアルフォーカス(MF)を選ぶのでしょうか。それは、自分の指先でヘリコイドを操作し、ファインダーの中でボヤけた像からピントが浮き上がってくる様子に感動を覚えるからです。
ピントリングの操作感は「指先とピントが連動しているかのような感覚」であり、撮影者と機材との濃密な対話を可能にします。あえてマニュアル操作を選ぶことで、撮らなくても触れているだけで気分が高揚する体験が得られ、たとえピントを外した失敗写真であっても、それが新しい発見へと変わる豊かな写真時間が約束されているのです。
【一言メモ】フォクトレンダーは1756年ウィーンで創業(後にドイツへ移転)した、カメラ・レンズメーカーとして世界最古の歴史を持つ名門。1999年以降、コシナが開発・製造・販売の権利を持っています。現在は実質的に「日本の職人技術で作られるレンズ」です。
コシナ フォクトレンダーのレンズラインアップをシリーズ別解説
フォクトレンダーのレンズラインアップは、一見すると複雑に見えるかもしれませんが、実は非常にロジカルな命名規則に基づいています。基本的には開放F値によってシリーズ名が決まりますが、コシナが面白いのは、そこに単なる明るさの違いだけでなく、明確な人格(キャラクター)を与えている点です。
明るさを追求してロマンを追いかけるのか、携帯性を重視してスナップに没頭するのか、あるいは数値性能の極北を目指すのか。レンズの名前を知ることは、あなたの撮影スタイルに最適な相棒を見つける最短ルートとなります。
NOKTON(ノクトン)
キヤノン EOS R5 コシナ Voigtlander NOKTON 50mm F1.0 RF-mount ■絞りF1.0 1/1600秒 マイナス0.3露出補正 ISO100 WB:オート ※ピクチャースタイル:ニュートラル(Photo:豊田慶記)
まずNOKTON(ノクトン)は、開放F値がF1.5以下の極めて明るいレンズに与えられる称号です。夜(Nokt)を語源に持つ通り、かつては光量の少ない環境下で撮るための特殊レンズという位置づけでした。
現代のNOKTONの魅力は、その強烈な二面性にあります。絞り開放では球面収差をあえて残し、柔らかく滲むような幻想的な描写を見せる一方で、数段絞り込めば最新のレンズに匹敵するキリッとしたシャープネスを発揮します。1本のレンズの中に、オールドレンズのような味わいと現代的な性能が同居しており、絞りリングの操作ひとつでその性格を自在に操れる、まさに絞りで遊べるシリーズです。
ULTRON(ウルトロン)
パナソニック LUMIX S5 マウントアダプター SHOTEN LM-LSL M Ⅱ コシナ ULTRON VintageLine 35mm F2 VM Type I 絞り優先AE ■絞りF2.0 1/1600秒 マイナス1.0露出補正 ISO400 WB:オート(Photo:豊田慶記)
次にULTRON(ウルトロン)は、開放F値がF1.6からF2.0のレンズ群を指します。NOKTONほどの極端な明るさはありませんが、そのぶんレンズ設計に無理がなく、コンパクトさと描写性能のバランスが最も優れた実用性の要と言えます。
しかし、コシナのULTRONは単なる優等生では終わりません。明るさと性能、サイズバランスを追求し、比較的小型なサイズでありながら開放からシャープで、かつボケ味にもこだわったモデルなど、道楽の相棒として常に持ち歩きたくなるような、愛着の湧く製品が多くラインアップされています。
APO-LANTHAR(アポランター)
パナソニック LUMIX S1 マウントアダプター SHOTEN LM-LSL M Ⅱ コシナ Voigtlander APO-LANTHAR 28mm F2 VM 絞り優先AE ■絞りF2.0 1/125秒 プラス2.7露出補正 ISO500 WB:オート(Photo:豊田慶記)
そしてAPO-LANTHAR(アポランター)は、フォクトレンダー史上最高性能という言葉に偽りのない、コシナの光学技術の粋を集めたフラッグシップシリーズです。名の由来は、光の3原色(RGB)の軸上色収差を限りなくゼロに近づけるアポクロマート(Apochromat)設計から来ています。
その描写は空気まで写る、被写体のありのままを暴くと評されるほどクリアで、色滲みやフリンジを徹底的に排除しています。ピント面はカミソリのように鋭く、そこからなだらかにボケていく立体感は圧巻。自分の写真の腕が試されるような緊張感がありますが、バチッと決まった時の快感は何物にも代えがたい体験となるでしょう。
COLOR-SKOPAR(カラースコパー)
パナソニック LUMIX S5 マウントアダプター SHOTEN LM-LSL M Ⅱ コシナ Voigtlander COLOR-SKOPAR 35mmF2.5 P Ⅱ 絞り優先AE ■絞りF2.5 1/200秒 プラス0.7露出補正 ISO100 WB:オート(Photo:豊田慶記)
COLOR-SKOPAR(カラースコパー)は、開放F値がF2.1より暗い、コンパクトさを最優先したレンズ群です。かつてはF値が暗いイコール廉価版というイメージがありましたが、現代のカラースコパーは違います。全長わずか30mm前後のサイズからは想像もできないほど高画質で、開放からバキバキに解像するモデルも存在します。
重い機材に疲れてしまった時、あるいはカメラをファッションの一部のように軽快に持ち歩きたい時、このシリーズの小ささは最強の武器になります。もちろん、コシナらしい金属鏡筒のビルドクオリティに一切の手抜きはありません。
HELIAR(ヘリアー)
ソニー α1Ⅱ コシナ PORTRAIT HELIAR 75mm F1.8 E-mount 絞り優先AE ■絞りF2.2 1/400秒 マイナス1.3露出補正 ISO100 WB:オート(Photo:豊田慶記)
最後にHELIAR(ヘリアー)は、3群6枚や3群5枚といった、写真レンズの黎明期から続くシンプルな構成をベースにした、クラシックで独創的なシリーズです。数値的な性能競争からは一線を画し、あえて収差を残すことで絵画のような独特の描写を追求しています。
特にPORTRAIT HELIARのように、独自の機構で球面収差の量をコントロールできるものもあり、写り過ぎる現代のレンズに対するアンチテーゼのような存在です。写真に味や雰囲気を求める求道者にこそふさわしいレンズと言えるでしょう。
マウント別! おすすめレンズ
コシナ・フォクトレンダーの真髄は、単にマウントの形状を変えただけの製品を乱造しない点にあります。コシナは各社ミラーレスカメラのイメージセンサーごとのカバーガラスの厚みの違いまでも考慮し、それぞれのマウントに最適化した光学設計を行うという、執念にも似たこだわりを持っています。
そのため、同じレンズ名であってもマウントが異なれば、そのレンズ構成や描写の味付けが微妙に、あるいは明確に異なる場合があるのです。ここでは、マウントごとにおすすめのレンズを紹介します。
ソニー Eマウント用
ソニーEマウントは、コシナが電子接点搭載による「利便性」とマニュアル操作の「趣味性」をいち早く融合させた主力フィールドです。史上最高性能を謳うAPO-LANTHARから、あえて収差を楽しむClassicまでラインアップがもっとも豊富。ボディ内手ブレ補正やExif記録に完全対応しており、MF初心者でも安心して使えるシステムが完成されています。
APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical E-mount
コシナがフォクトレンダー史上最高性能の標準レンズとして世に送り出したこのレンズは、解像力やコントラスト再現性に関しても究極の性能を追求した、一切の妥協をしたくないユーザーへの回答です。異常部分分散ガラス5枚、両面非球面レンズ2枚を惜しみなく投入したアポクロマート設計により、軸上色収差を徹底的に排除しており、その描写は空気まで写ると形容されるほどの透明感を誇ります。操作面でも抜かりはなく、電子接点によるExif記録やボディ内手ブレ補正への対応はもちろん、開放F2だけでなくF2.8でも円形を保つ特殊形状の12枚絞り羽根が、美しい玉ボケ表現を約束してくれます。
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COLOR-SKOPAR 21mm F3.5 Aspherical E-mount
広角レンズは大きく重いという常識を覆す一本です。開放F値をF3.5に抑えることで、重量わずか230gという驚異的なコンパクトさと、フルサイズのイメージサークルを隅々までカバーする高性能を両立させました。非球面レンズや異常部分分散ガラスを採用した光学系は、画角91.2度の超広角でありながら歪みを感じさせない端正な描写を見せます。スナップ撮影において軽快さは正義ですが、本レンズは電子接点と距離エンコーダーを内蔵しているため、ソニー製ボディの5軸手ブレ補正の恩恵をフルに受けられる点も見逃せません。
PORTRAIT HELIAR 75mm F1.8 E-mount
ソニー α1Ⅱ 絞り優先AE ■絞りF2 1/3200秒 ISO100 WB:オート(Photo:豊田慶記)
現代のレンズは写りすぎると感じているなら、このレンズが特効薬になるでしょう。最大の特徴は、独自の収差コントロールリングを装備している点にあります。このリングを操作することで、意図的に球面収差を発生させ、輪郭が際立つバブルボケから、全体が幻想的に滲むソフトフォーカスまで、描写を劇的に変化させることが可能です。ライブビューでその変化をリアルタイムに確認しながら崩しの美学を追求する行為は、単なる撮影を超えた絵画的な創作体験をもたらしてくれます。
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フジフイルム Xマウント用
Xマウントセンサーに光学系を最適化し、開放F0.9やF1.2といった驚異的な大口径レンズをコンパクトに実現しています。絞りリングの回転方向を純正レンズに合わせるなど操作系も徹底してチューニング済み。その描写はフィルムシミュレーションとの相性が抜群で、X-Proシリーズなどのクラシカルなボディと組み合わせれば、見た目も写りも「情緒」の塊となります。
NOKTON 35mm F1.2 X-mount
フジフイルムX-H1 ■絞り優先AE(F1.2 1/2000秒) ISO400 WB:オート ※フィルムシミュレーション:ASTIA (Photo:豊田慶記)
フジフイルムXマウントユーザーが待ち望んでいたコレだよコレという王道の写りを体現した大口径標準レンズです。絞り開放からF1.8あたりまでは柔らかく幻想的な描写を見せ、F4.0まで絞り込めばギンギンにシャープになるという、一本で二度美味しい絞りで遊べる特性を持っています。純正レンズにはない、絞りリングの精緻でコリコリとしたクリック感や、ネットリとしたピントリングの感触は、撮影という行為そのものを上質な体験へと昇華させてくれるでしょう。
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NOKTON 35mm F0.9 Aspherical X-mount
フジフイルム X-T5 絞りF0.9 1/1250秒 ISO250 WB:オート ※PROVIA / スタンダード(Photo:豊田慶記)
F0.9という驚異的な明るさを持ちながら、開放からピント面はシャープで、大口径レンズにありがちなホワホワとした甘さがありません。GA(研削非球面)レンズを採用することで、超大口径でありながらハンドリングの良いサイズ感に収まっており、EVFの中で薄いピントがスッと浮き上がってくる様子は、覗いているだけで感動を覚えるほどです。電子シャッターを活用すれば日中でもF0.9の世界を堪能でき、とろけるようなボケ味と、ピント合わせそのものの官能性を同時に味わえる魔性のレンズと言えます。
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ULTRON 27mm F2 X-mount
フジフイルム X-T5 絞りF2 1/1100秒 ISO250 ※フィルムシミュレーション:PROVIA / スタンダード(Photo:豊田慶記)
全長約23.5mm、重さ約120gというサイズ感は、装着していることを忘れるほど軽く、実質的に空気のような存在です。しかしその描写は本格派で、開放F2から中心部はシャープに解像し、絞りと距離によって変化する周辺描写が写真に味わいを加えます。ピント操作にはリングではなくレバー方式を採用しており、X-Proシリーズなどのレンジファインダースタイルのボディと組み合わせれば、前世から結ばれていたかのような絶妙なマッチングと軽快なスナップ撮影を楽しめます。
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COLOR-SKOPAR 18mm F2.8 Aspherical X-mount
フジフイルム X-T5 絞り優先AE(F5.6 1/4000秒) マイナス0.3露出補正 ISO250 WB:晴れ ※フィルムシミュレーション:ACROS + Yフィルタ(Photo:豊田慶記)
換算28mm相当の広角レンズでありながら、パンケーキスタイルに凝縮されたGRライクな一本です。描写には独特の厚みがあり、フィルムシミュレーションとの相性も抜群で、少し甘めの周辺描写すらも写真の味として肯定したくなる魅力があります。ULTRON 27mmと同様にコンパクトな鏡筒は、カメラを威圧感のないスナップシューターへと変貌させ、日常のふとした瞬間を切り取るための最高の相棒となるでしょう。
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NOKTON 50mm F1.2 X-mount
フジフイルム 絞り優先AE(F1.8 1/7000秒) ISO250 WB:オート ※フィルムシミュレーション:PROVIA / スタンダード(Photo:豊田慶記)
フルサイズ換算75mm相当の中望遠レンズでありながら、全長49mm、重さ290gというコンパクトさを実現しています。絞り開放では柔らかく、絞ればキリッと解像する絞りの利く特性を持ち、撮影距離と絞りの組み合わせで描写をコントロールする楽しみがあります。中望遠ならではの自然な立体感と、オラつかない上品なボケ味は、ポートレートやスナップ撮影において、被写体が過ごしてきた時間までも写し撮るかのような奥深さを提供してくれます。
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コシナのレンズを選ぶべき人、選ぶべきでない人
選ぶべきでない人
これほどまでに多種多様なマウントと個性的な光学設計を展開するコシナですが、万人に勧められるかと問われれば、答えはNOです。フォクトレンダーのレンズは、現代の利便性とは真逆のベクトルに位置する製品も多いため、使う人との相性が明確に分かれるからです。
まず、フォクトレンダーを選ぶべきでない人とは、撮影結果における効率と歩留まりを最優先する人です。スポーツや報道、あるいは一瞬の表情を逃せない動き回る子供やペットの撮影において、マニュアルフォーカスは明らかに不利です。
また、画面の隅々まで均質で無機質なほどの完璧な描写を常に求める人にとって、あえて収差を残したClassicシリーズなどの味付けは、単なる光学的な欠点と映るかもしれません。もしあなたが、カメラを単なる画像を記録する道具として捉えているならば、純正の高性能AFズームレンズを選んだ方が幸せになれるでしょう。
選ぶべき人
一方で、フォクトレンダーを選ぶべき人とは、写真撮影という行為そのものに快楽や対話を求める人です。オートフォーカスなら一瞬で終わるピント合わせにあえて時間をかけ、リングの感触を楽しみながら、ファインダーの中で像が結ばれる瞬間に立ち会う。そのプロセスに価値を感じられる人にとって、コシナのレンズは唯一無二のパートナーとなります。
また、現代のレンズが失ってしまったレンズの個性を楽しみたい人にも最適です。絞りを開ければ柔らかく滲み、絞れば鋭く解像する。そんな二面性を理解し、光の状態に合わせてレンズの特性を引き出すような使いこなしを楽しめる人こそ、このブランドの真の理解者と言えるでしょう。金属の冷たい感触や、メカニカルな操作音にグッとくるモノ好きな人にとっても、これ以上の選択肢はありません。
まとめ:なぜ今、「フォクトレンダー」なのか
カメラのデジタル化が進み、瞳AFや被写体認識AFが当たり前となった現代において、なぜ私たちはあえてマニュアルフォーカスのレンズを手にするのでしょうか。それは、便利さと引き換えに失ってしまった撮る手応えを取り戻したいという本能的な欲求かもしれません。
コシナ・フォクトレンダーのレンズ群は、スペックシート上の数値やMTF曲線だけでは決して測れない官能性に満ちています。しっとりと指に吸い付くようなピントリングのトルク感、カチリカチリと小気味よい音を奏でる絞りリングの感触、そしてひんやりとした金属鏡筒の重み。これらは、シャッターを切らなくとも、ただ触れているだけで撮影者の気分を高揚させる力を持っています。
長野県中野市から世界へ発信されるこれらのレンズは、大手メーカーでは稟議が通らないであろうニッチで、それゆえに愛おしい企画の結晶です。F1.0やF0.9といった超大口径レンズで光を操るロマン、アポランターで究極の解像を追求するストイックさ、あるいはパンケーキレンズで軽快にスナップする自由。VM、E、X、Z、そしてRFと、どのマウントを選んだとしても、そこには各マウントに最適化された光学的な回答が用意されています。
フォクトレンダーのレンズを手に入れることは、単に撮影機材を増やすことではありません。それは、自身の写真表現の引き出しを増やし、撮影という時間をより濃密で豊かなものに変えてくれます。一度その足を踏み入れれば、二度と抜け出せないかもしれないレンズ沼。しかし、その深淵には、オートフォーカス任せでは決して見ることのできなかった、あなただけの景色が広がっているはずです。まずは一本、あなたのカメラに長野の狂気を装着してみてください。ファインダー越しに見える世界が、昨日までとは違って輝いて見えることをお約束します。