マイクロフォーサーズを発表してから10年。立ち上げの時、印象に残る製品、そして10年経った今、開発者は何を感じているのか? 河田一規氏が迫る! 
※この記事は月刊カメラマン2018年10月号に掲載した当時のものです。

▲OLMPUS 技術開発部門 映像開発本部 本部長 片岡摂哉氏(写真右)とインタビュアーの河田一規氏(写真左)。 ※月刊カメラマン2018年10月号掲載当時

マイクロフォーサーズがOM-DではなくPENから始まった理由は?
どこかでEシステムをミラーレスにスイッチしなきゃいけない

河田 PENは、そのあとPLシリーズもPMシリーズも出して順調にやっていった。そのままいくのかと思ったら2012年3月にOM-Dのシリーズで2本立てになっていくわけです。PENはライフスタイル系、OMはもうちょっと撮影に特化したという性格分けだった。パナソニックさんは最初の1年ぐらいでG、GF、GHと3シリーズ出ていましたから、細分化してそれでいくんだなっていうのが見えていたんですけど、OM-Dは当初から予定されていたんですか。

片岡 ウチの場合、Eシステムがあったので流れの中でOM-Dを出しました。Eシステムは2003年から始めており、お客さんもついていましたので、本格的なシステムはEシステムで、ライフスタイルに特化したような新しい写真をPENで撮ってもらたいという風にやってきたんです。ただし、やっぱり時代の流れもあって一眼レフのEシステムのほうはだんだんリソースが割けなくなってきて…先ほども言いましたが一眼レフって機能を進化させようと思うといろんなユニットを全部開発しなくちゃいけないんですが、そのリソースが苦しいなというのもあった。それとPENをやっていくなかでかなり進化した。とくにミラーレスの場合はイメージャーとエンジンでスペックがどんどん進化していく。それを実際体感していったなかで、この先はミラーレスでシステムが担保できるんじゃないか、どこかでEシステムをミラーレスにスイッチしなきゃいけないと考えていました。でも、なんとなく出しちゃうといけないので、ある程度未来図が描けた段階でOMを出そうと。ようやくその将来像がうっすらと見えてきたので、じゃあE-M5からやってみようと。

河田 Eシステムからスイッチしなきゃいけないと考えだしたのは何年ぐらいですか。

片岡 PEN E-P1が出てミラーレスにグッと注目が集まって実際に数も出るようになってきたときに、一方で他社さんは一眼レフに力を入れて、どんどんスペックが上がっていく。するとウチはリソースをミラーレスに割いている分、進化のスピードも遅くなって、それが売上にもだんだん見えてくるようになってきていたので、その頃からどこかで切り替えないといけないんだろうなと思っていたんです。一方、ずっとシステムを信用して買ってくれたお客さまに「こっちのほうがいいのでやっぱりこっちにしました」と、思いついたからといって簡単に出していいものでもない。ちゃんと切り替えのシナリオが書けないと、というのをまあ2年ぐらい考えていました。

河田 ということは2009年あたりからですかね。一番印象に残っている機種は?

片岡 僕が製品担当として最後に手掛けたE-P1もそうですし、腹をくくって出したE-M1もかなり思い出深いです。E-M5発表のときも一部出席させてもらいましたが、E-M5は『いずれ行く道筋』の第一歩だったので、まだ大きい話は何もしていないんですけど、次にE-M1というものを企画したときに像面位相差を入れて、Eシステムのレンズも動くようにして、これをやろうとしたときにものすごくコストがかかりますよ、ということで『E-M1を本気出そうとするとEシステムにリソース割けません』という話になる。E-M1もまだそれほどスペックが固まっていなかったので『ライフシステムから逸脱せずにEシステムはEシステムで』と続ける手もありますというので、実際E-5後継機の図面もちょっと書いたりしたんです。

河田 E-5後継機があったんだ!

片岡 でも『両方はできない。どっちにしますか』と。腹くくるならここ。E-M1を出すときは『Eシステムは当面やらないです。もうオリンパスはミラーレスでやっていきますよ』という宣言とセットになる。当時はそんな宣言をしているところはなかったので、かなり議論しました。

今後の展開については?
ミラーレスが中心になったときに、プロも満足できる技術を!

河田 マイクロフォーサーズという規格をオープンにした理由は?

片岡 元々はEシステムまでさかのぼるんですが、ひとつの大きい理由は、後発なので導入期はレンズを増やしたいということ。その流れを汲んでマイクロフォーサーズもオープンにしました。ただしフォーサーズのときは賛同というか協賛というか入ってくる人は多いんですけど、居るだけになっちゃった。それだとあまり意味がないので、今回はセミオープンというか、実際にやる気があるのかいろんな審査をしました。

河田 メリットはありますか。

片岡 フォーサーズのときはそれほどなかったんですけど、マイクロフォーサーズになって多くは電子化されているので、ブラックマジックのようなボディが出てきたりすると「こういうものを作ろうとしたときにはもっとこうなってくれないと良くないよね」とか「この辺が縛りになっちゃうとやりづらいんだけど」という意見もフィードバックとして入ってくるので完成度はより上がる。我々だけでは思いつかないようなこともどんどん情報として入ってきます。

河田 今10年経ってニコンさんからも出ましたけれども『一眼レフからミラーレスに』というのは完全に確定路線になったと感じます。どういう感想をお持ちですか。

片岡 やっぱりミラーレス、デジタルならではのスペックがどんどん上がることで注目が集まって、市場が大きくなってくると技術も伸びてくる。最初の七転八倒したころは「これ10年でスペック上がるのかよ」というのもあったんですけど予想より上がっていますし…とくに上のほうのモデルがどんどん出て、ここまで進化するというのは、まあ想像以上ですね。

河田 ある意味フォーサーズの大きさって本当にデジタルに特化した大きさですね。僕、最初「小さいだろう」とぜんぜん良さが分からなかったんですが、しばらくしたら「これは実はすごい」と思って。マイクロフォーサーズというかフォーサーズの話になっちゃいますが「この大きさでいこう、いけるぞ」って相当先のことを考えないと大きさを決められない。勇気が要る。

片岡 正直、最初にフォーサーズの規格を聞いたときは僕も同じような「いや、もうちょっと大きくてもいいんじゃない」って感想で。当時の資料を見ても、今合ってるかどうかは別にして、やっぱりひとつの解ではあると思っています。

河田 では今後の展開については?

片岡 我々はやっぱりチャレンジャー。今のカメラ市場は必ずしも明るい話ばかりではない。ミラーレス市場は伸びているといっても、一眼レフも含めた交換レンズは微減していますしコンパクトも含めると大減産している。今のお客さまが大切にしている価値はもちろん守らなきゃいけないんですが、それだけをやっていてこの先があるのかという危機感はすごくあります。それはいろんなプロモーションとかマーケティング活動も含むのかもしれないですけど、とくに僕は商品企画なので『こういう商品を使うと、こんな楽しいことができるよ』というのを世の中に提示していかないと。その分、その度に会議で通すの大変なんですけどね。「今までにないものをやる」というと「意味分がからない」と毎回言われる。

河田 でもそこは米谷イズムが(笑)。

片岡 カメラって、写真ってクリエイティブなもの。若い人が写真を撮らないかというとスマホを含めればものすごい増えている。SNSで『いいね』をもらうために「もらえた人はどんな写真撮ってるの?」と工夫するので、実は素人と言われる人のスキルはすごく高いんですよね。撮った瞬間の『うわー、いいのが撮れた!』という面白さとかも含めて、もっと多くの人に体験してもらうように仕掛けないとなと思います。他社さんも含めてミラーレスが中心になっていったときに、プロの方をはじめ多くの方が満足できるような技術というのも必要ですし、やることはいろいろありますね。

河田一規

齋藤康一氏に師事したのちにフリー写真家になる。雑誌等の人物撮影、カメラ雑誌への執筆、カメラ教室の講師などで活躍。趣味はトラックバイクでのバンク走行。