郊外コンプレックス
「バブルのような時代から、今は丁寧な暮らしを大事にしようとか言う人が多いと感じていて、私にとってはそれは恐怖なんです」とあやのさんが穏やかな顔で話したので、聴いているこちらの心がしびれた。
「世の中、生ものばっかり愛されている」、「生活に抗いたい」 。刺激的な言葉が続くが、あやのさんは冷静に正直に自分の感覚を話してくれる。
その後、大学院に進んで都市論を専攻したあやのさんは、その中で出てくる郊外の生活感のない描写に違和感を覚えた。自分が育った郊外にはむしろ生活感しかなかったという。
「郊外をSNS に解放」していくように、最近は郊外で作品を撮影することが多い。Tumblr の方は撮り方を変え、郊外らしい中で(ありきたりな場所で)郊外に自分の居場所を作っている姿の写真が並ぶ。
tofubeats のビジュアルなど郊外がかっこいい、といわれるが、あやのさんにとっては郊外に生まれ育ったコンプレックス自体を克服する過程のようにも思える。
ともすればシュールなだけな郊外の風景に本人が入っているという不思議。 生きづらい閉塞感を細い身体の彼女が自壊しているようなユーモア。
セグウェイ?
「通勤通学はセグウェイで」というサブタイトル?がつけられたInstagram でのライトな投稿が、Tumblr では郊外で撮られた写真や文章などが載る。どちらも自撮りがメイン被写体だが、それぞれがネットで見ることで意味の出る作品だ。
シンディ・シャーマンの自分を題材にした不思議な作品のようでもあるし、自己陶酔して売れないアイドルのアカウントのようでもある。
共通してどこかにネタだと思わせる符号のようなものがあり(干支のぬいぐるみなど)、それを見つけるのも楽しい。 清野賀子の写真集「The sign of life」(Osiris/2002 刊) で、荒涼とした郊外の光景と、視野に入ってくる生の印を見つけるような。
幕末の偉人の言葉が頭をかすめる。
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」