40年以上、水俣病を取材してきた小柴一良氏が、福島の原発事故を見て“水俣と同様の災害が起こるかもしれない”と直感し、福島の被災地の様子を何年にも渡って取材した写真が銀座ニコンサロンにて展示されている。幸福をもたらすと謳っていた原発が、一歩間違えると故郷を一瞬で奪い取る様が、作品を通じて伝わってくる。

大阪ニコンサロン

2018年9月13日(木) 〜 2018年9月26日(水)   *日曜休館

小柴氏の言葉(*ニコンHPより)

「40年以上水俣を取材したことから、福島も同じ問題が起きるのではないかと考えていた。福島を仮に公害(?)と言うのであれば水俣を長年取材した自分が知らん顔をして良いのかといった後ろめたさは、ずっとあった。

2015年明けてすぐに、福島の川内村で葬式の撮影が可能であるという話が舞い込んだ。ロケハンも兼ねて行くことにした。それがキッカケとなり福島通いが始まった。

東電・行政の対応、補償金をめぐる親子・兄弟、あるいは近隣の争い。補償金で高級車を買い、毎日パチンコ通いの人がいる。家を何軒も新築した人がいるという話を耳にする。
また、被害を受けた人の話は避難した先のスーパーのパーキングが満杯で苦労して入れたのに、帰る時は福島ナンバー車の周りは避けられ、ガラガラだった。
福島の人が他県に転居した時、車のナンバープレートから福島の2文字が消えたことにホッとしたという。この様な話に枚挙にいとまがない。なぜ被害者が差別されなければならないのか、多数の利益の為なら少数者の意見などは無視される。それどころか悪口、妬みがあり、そして放置される。半世紀前の水俣とまったく同じ構図ではないか。

1950年頃、水俣の茂道や湯堂集落では海に魚が浮き、猫が狂い、カラスなどが落ちた。その3年後、劇症患者が続発。その2年後、乳児に脳性まひに似た症状が続発した。(1962年胎児性水俣病と診定)

福島の飯館村で老人二人が「近頃、小鳥の声を聴かなくなった」。三春町では春頃になると、車に轢かれた蛇がペシャンコになった姿をよく見たがあまり見かけなくなった。また、最近「竹の色が黄色っぽくなり、緑の鮮やかさがなくなった」といった話を聞く。

人間だけが楽をして、他の生き物の事を考えずに環境を破壊する。近代科学文明の発達は真に人間を幸福にするのか。
福島の傷は深い。目に見える風景は何の変化もない。不気味な静けさの中で「地下世界」では何かが進行しているように思えてならない。“世の中は 地獄のうえの花見かな”(一茶)」(小柴一良)

小柴一良(コシバカズヨシ)

「被災地に住む方たちの、これから発現してくるかもしれない健康状態も不安要素です」(小柴氏)

●1948年 大阪府生まれ
●1972年 西川孟写真事務所に撮影助手として入所。その間、土門拳氏の「古寺巡礼1大和編」「女人高野室生寺」の撮影助手を務める。
●1974年 水俣、出水の水俣病を取材。
●1979年 帰阪、この年より企業・自治体のCM,広報写真撮影を始める。
●2007年4月 「水俣を見た7人の写真家たち」展(水俣資料館)に参加。その合同写真集(株式会社・弦書房)で初めて水俣作品を発表。その後、宮崎、豊橋、浜松、横浜、相模原で写真展を開催。
●2009年3月 新宿ニコンサロンで「水俣よサヨウナラ。コンニチワ」を開催。
●同 7月 大阪ニコンサロンで同写真展を開催。
●2011年9月 キヤノンギャラリー銀座で「Espritde Paris」を開催。
● 同 10月 キヤノンギャラリー札幌で同写真展を開催。
●2012年1月 キヤノンギャラリー梅田で同写真展を開催。
●2013年6月 「水俣よサヨウナラ、コンニチワ1974-2013」写真集を出版。
(株式会社・日本教育研究センター)
●2014年 「パリの印象」写真集を出版(株式会社・用美社)。

2018年11月に刊行予定の「FUKUSHIMA 小鳥はもう鳴かない」(七つ森書館)。A4判・224ページ・定価3000円+税