一ノ瀬泰三とは
一ノ瀬泰三の「地雷を踏んだらサヨウナラ」という写真・書簡集は、何度も映画化されたりドキュメンタリー作品が作られたりと、あまりにも有名です。その文体からあふれるフレッシュな感情や感覚は、いまでも青春の書として多くの人々に新鮮な感動を与え続けています。
日本大学藝術学部写真学科を卒業した泰三は、1972年、フリーランスの戦場カメラマンとして、第三次印パ戦争で独立したバングラディシュの取材に自費で単身赴きます。その後カンボジアに入りますが、ベトナム戦争の取材でグラフ誌や週刊誌に写真が掲載され名を馳せます。
そして、1973年にいったん帰国した後、泰三はふたたびカンボジアを目指します。カンボジアの極左政治勢力クメール・ルージュの支配下にあったアンコールワットの取材に野心を燃やし、その途上で消息を絶ちます。泰三の消息は長く不明となり、ご両親をはじめ様々なメディアが泰三の消息を探っていましたが、同年11月28日にクメール・ルージュに処刑されていたことがわかったのは、9年後の1982年のことでした。
1947(昭和22)年 佐賀県武雄市生まれ。1972(昭和47)年からフリーの報道写真家として約2年、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、世界的なスクープを目指す。1973(昭和48)年11月、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の言葉を残し、当時クメール・ルージュ支配下にあった、アンコールワットに向かい消息を断った。
この企画展について
一ノ瀬泰造が1972(昭和47)年から1973(昭和48)年にかけて撮影した、カンボジア、ベトナムの戦場写真など約40点と、泰造が使用し被弾したカメラ「ニコンF」、母・一ノ瀬信子に送った直筆の手紙などの遺品、約15点が展示されます。作品セレクトや展示構成は、泰造の姪である永渕教子さんが担当。世界的なスクープをめざし駆け回った戦場の作品から、戦争に翻弄されながらも力強く生きる人々の記録などがセレクトされ、「泰造が伝えたかった真実と彼の生き様が感じられる展示」をねらいとしています。
企画展の案内から
一ノ瀬泰造とわたし
私が物心ついた頃、叔父である一ノ瀬泰造はカンボジアですでに行方不明になっており、泰造の母で私の祖母である一ノ瀬信子が、救出嘆願に駆けずりまわっていたことを覚えています。そして、いつか帰ってくるはずの泰造兄ちゃんのことが常に家族の話題の中心でした。
幼い頃の私は、泰造の写真では、ロックルーの結婚式のシリーズがとても好きで、カンボジアの民族衣裳の美しさに憧れていましたが、モノクロの戦争写真には湧き上がる恐怖を感じ、写真集のページをめくるのがとても怖かったことをよく覚えています。
その後、私自身が、泰造の作品を世に送り出すという祖母の活動に本格的に関わりを持つようになったのは16歳の秋のことで、あるテレビ局のドキュメンタリー番組のクルーの皆さんと共に、祖父母とカンボジアを訪れたのがきっかけになります。その時の私は、高齢になっていた祖父母の荷物持ちのつもりだったのですが、その旅の道中に、泰造が遺したものがどういうものなのか知りたいと強く感じ、そのために写真を学ぼうと決めたことを思い出します。なぜそう思ったのか、今となっては明確には覚えていません。しかし、あの時の思いのまま、今でもこうして、どうにか泰造の生きた証を繋げようとしているのは、泰造が多くの方に愛されていることを知ったということが、一番の理由と思っております。
今回の写真展では、泰造が世界的なスクープをめざし駆け回った戦場の記録から、戦争に翻弄されなお力強く生きる人々の記録などをセレクトし、26年という短い人生を熱く強く駆け抜けた泰造が自らの目で見て、肌で感じ、世界に伝えたいと願った真実をみなさまにご覧いただこうと考えました。
それぞれの作品を通じて、泰造が伝えたかったことを感じ、泰造が生きた証を知っていただければ幸いです。
永渕教子
期間と開場時間について
期間:2020年1月6日(月)~3月28日(土)
開場時間:10時~18時(最終入館17時30分まで)
休館日:日曜、祝日のほか、ニコンミュージアムが定める日
ニコンミュージアムについて
株式会社ニコンが創立100周年を記念して、品川区のニコン本社にオープンした企業ミュージアム。館内には、歴代のニコンカメラ、ニッコールレンズのほか、ニコンが製造に関わる様々な光学製品や産業用機器・設備、資料などが展示されている。常設展示のほか、企画展として写真作品の展示も行っている。