2013年末に発売されたDfはカメラファンの絶大な支持を受け、結果カメラグランプリ2014の大賞を受賞した。ニコン100周年を迎えるにあたって「DfⅡ」が発売されるのではないかと心待ちにしていたニコンファンも多いと思う。でも、残念ながら答えはNOだ。いま登場しないのだからDfⅡはない。確実にない。もし、Dfに興味があるなら、Dfが欲しいなら、本誌2014年7月号に掲載したアベっちのDf開発者インタビューをもう一度読んで決断するといい。ニコンに勤務する、熱き2人の男の夢を現実にするまでの物語だ。(阿部秀之)

いまだからニコンDfを買う!

画像: Dfの最初の手作りモック。木製で、なんと手作り家具屋の廃材が元だと聞いた。小さな夢はいくつもの苦難を乗り越えて、カメラグランプリ大賞を手にするまでになった。

Dfの最初の手作りモック。木製で、なんと手作り家具屋の廃材が元だと聞いた。小さな夢はいくつもの苦難を乗り越えて、カメラグランプリ大賞を手にするまでになった。

ニコンDf 注目ポイント

●ゆとりのある画素ピッチや高い開口率をもたらす、FXフォーマットに1625万画素という組み合わせ
●静止画撮影に特化して高めた機能とシンプルな使いやすさ
●操る愉しさを実感できる直感的なダイヤル操作
●精緻なデザインと心地良い感触
●非AI方式のNIKKORレンズも使用可能

画像: www.nikon-image.com
www.nikon-image.com

主な仕様

●センサーサイズ:35mmフルサイズ(約36.0×23.9mm)●有効画素数:1625万画素●画像処理エンジン:EXPEED 3●ISO感度(拡張):100-12800(拡張204800)●最高連写速度:約5.5コマ/秒●シャッター速度:1/4000秒~30秒、バルブ●AF測距点(クロス測距点): 39点(9点クロス)●測光方式:2016分割RGBセンサーによるTTL開放測光●ファインダー視野率/倍率:約FX=100%、DX=97%/0.7倍●記録メディア:SD、SDHC/ SDXC(UHS-1対応)●大きさ(W×H×D):約143.5×110×66.5mm●本体重さ(本体のみ):約765g

後藤哲朗

㈱ニコン フェロー 
映像カンパニー 
後藤研究室室長

三浦康晶

㈱ニコン 
映像カンパニー
後藤研究室(兼)第一マーケティング部

阿部秀之

インタビュアー

画像: ▲お気に入りのレンズを着けたDf と初期のモックアップを持って記念撮影。右から後藤哲朗氏、阿部秀之氏、三浦康晶氏。

▲お気に入りのレンズを着けたDf と初期のモックアップを持って記念撮影。右から後藤哲朗氏、阿部秀之氏、三浦康晶氏。

数々の強敵が居並ぶ中、カメラグランプリ2014の大賞を受賞したのが、これまでのスペック重視のデジイチとはまったく違う発想から生まれたニコンDf。その開発の真実に、自らもDfのオーナーになったアベッちが迫る!

まったくカタチが違うDfの初期スケッチ

【アベ】今日はDf の、あまり公開していないハナシをお聞かせ願えるということですが?
後藤:実はDfの取材をいろいろと受けたりしているあいだに「そういえば、なんか昔あったはずだ」と思い出し、データを掘り起こしてみたら「ちょっと待てよ。もっと前のスケッチがあるじゃないの」「ああそうだ、最初これだったんだ」となったものですから、この機会にご披露しようと。
【アベ】僕が最初に見せてもらったのは、10月23日と記されたスケッチでした。それよりも前のものがあるんですね。
【後藤】はい。我々もいきなり出たのが10月23日のスケッチだと思い込んでいたのです。Dfのあまりの反響の大きさに浮かれ、すっかり忘れておりました。
【アベ】じゃあ、発表のとき「最初に出た図面はこれですよ」とか言ったときは忘れてたんですか(笑)
【三浦】まったく忘れていました。探したら出てきました。PDFファイルが。
【アベ】えー! Dfの発表会やイベントで「Dfは10月23日のスケッチからスタートしました」って、全国で言ってしまった。僕は嘘つきヤロウになってしまった(笑)。 しかも、まったくカタチが違う。驚きですね。
【後藤】はい、阿部先生とお客様には大変に失礼なことをしました(笑)。

「最初に『無視をする人』を決めました」(後藤)

画像: 後藤哲朗 ㈱ニコン フェロー 映像カンパニー 後藤研究室室長

後藤哲朗
㈱ニコン
フェロー
映像カンパニー
後藤研究室室長

Dfのコンセプト。ニコンのDNA

【アベ】Df のおおもとのコンセプトはどこから来たんですか?
【後藤】皆で最初に合意したのは「無視をする人」=相手にしない人とかものという意味です。バリバリ撮影をするスポーツ系の写真家、社内に多いのですがコスト重視の面々、シーンモード…そこは切ろうと。その次がターゲットユーザー…普通は逆なのですけど。花鳥風月を撮って、旅行で使う、それから機材好きのカメラマニアや小金持ちの方。価格が高くなるのはわかっていましたので、そういう方々をターゲットにすると。スナップ系写真家層や日頃忙しい写真家の作品作り…自分の作品はこのカメラで撮る、食べるために仕事上仕方がなく便利なD3で大量に撮るのですけど、そうじゃない作品を作品展に出される人には、このカメラでいいんじゃないの、という方をターゲットに狙いました。
【アベ】僕、まさしく当たっています。仕事だったらD800 だけど、普段だったらDfで…もろにそうですね(笑)

開発の経緯
●2009 年 6月:後藤研究室設立 ニコンDNAの研究を開始
● 〃  8月10日:「スロー D-SLR」構想
● 〃  10月19日:スケッチ<0>
● 〃  10月23日:スケッチ<1>
● 〃  10月27日:スケッチ<2>
● 〃  11月:モック 手作り
● 〃  12月25日:デザイン部参加
スケッチ数種 モック方針決定
●2010年2月26日:モック完成
● 〃  3月30日:社内プレゼン「LOHAS機」
秋三浦PDM(プロダクトマネージャー、一人)
フォトキナにて富士フイルムX100発表
●2011年 3月11日:東日本大震災
● 〃  10月:タイ洪水
設計メンバー 仮検討スタート
●2012年 2月:オリンパス OM-D発表
● 〃  6月:PDT(プロダクトチーム発足)
●2013年11月28日:Df発売

【後藤】デザインの経緯からお話します。まず09年6月1日にG研=後藤研究室ができました。最初のスケッチは10 月19日=「スケッチ<0>」としましょうか。その次の「スケッチ<1>」が10月23日で、さらに「スケッチ<2>」が10 月27 日。G研が発足したばかりのときは、まだ私しかおりません。それで社内から研究員を集めて「ニコンのDNAはこれこれしかじか、今のラインナップだけでいいんだろうか」なんていう話から始めました。
【アベ】スケッチ<0> のとき、もっとも重要視していたことはなんでしたか?
【三浦】このときは小型軽量を突き詰めてみようと思っていました。
【アベ】FXの一眼レフは重たいですからね。
【三浦】ただ、今となっては“たぶん”ですね。もうそのときの気持ちを忘れちゃっていますので(笑)
【アベ】スケッチ<0>は、Df のもっとも大きな特徴であるシャッターダイヤルはなくて、小さくなったけどモードダイヤルがあるんですね。
【三浦】「こうしなければ社内に受け入れられないのではないかな」という気持ちがあったのだと思います。「いきなりスケッチ<1>だと絶対受け入れられないな」という予想があって、自分のなかでは妥協してそのスケッチを描いたのですけれども、数日で気が変わって、やっぱりこっちかなと。それでスケッチ<1>を描きました。
【後藤】このスケッチは3 種類とも完全に三浦のスケッチです。「スケッチ<0> では今ひとつだねえ」ということで、数日の間にいろんなことを考え直して10 月23日のスケッチ<1> になりました。もうほとんどDfですね。でも、さらに細かなところを修正してということで、10月27日のスケッチ<2>が。
【アベ】19、23、27 日ってけっこう詰め詰めですよね。
【三浦】本物に近いのは「スケッチ<1>」なんですよ。僕はもっとさらに進めて、シャッターダイヤルを任意の位置でロックする“任意ロック”にしてしまおうというので考えたのがスケッチ<2>です。
【アベ】任意ロックというのは自分の好きなところでロックできる、プロが望む機能でありますけれども。
【後藤】実機と比べて液晶の位置とモードダイヤルの位置もだいぶ違いますよね。後ろ姿も。

本邦初公開!
開発者にも忘れられていた初期スケッチがあった!!
スケッチ<0>
2009年10月19日

スケッチを描いた三浦氏自身も忘れていた最初のスケッチ、ゼロ。Df の特徴になっているシャッター速度ダイヤルがない。どうしても発売にこぎつけたくて遠慮したからだそうだ。

画像1: *実機参照

*実機参照

画像1: 本邦初公開! 開発者にも忘れられていた初期スケッチがあった!! スケッチ<0> 2009年10月19日
画像2: *実機参照

*実機参照

画像2: 本邦初公開! 開発者にも忘れられていた初期スケッチがあった!! スケッチ<0> 2009年10月19日
画像3: 本邦初公開! 開発者にも忘れられていた初期スケッチがあった!! スケッチ<0> 2009年10月19日
画像4: 本邦初公開! 開発者にも忘れられていた初期スケッチがあった!! スケッチ<0> 2009年10月19日

スケッチ<1>
2009年10月23

アベが最初に見せてもらったスケッチはこの<1> だった。ほぼ製品版のDf に近い。強いて違いを探すと、厚みは製品よりも薄く描かれている。希望をこめて薄くしてあるのだ。

画像1: スケッチ<1> 2009年10月23
画像2: スケッチ<1> 2009年10月23
画像3: スケッチ<1> 2009年10月23

スケッチ<2>
2009年10月27日

さらに推し進めたのがスケッチ2だ。シャッターダイヤルを任意の位置でロックする「任意ロック」にしようと考えていたそうだ。しかし、これは不採用になった。

画像1: スケッチ<2> 2009年10月27日
画像2: スケッチ<2> 2009年10月27日
画像3: スケッチ<2> 2009年10月27日

薄いぞ! 最初の手作りモック

【後藤】最初の木のモックはいつだっけ?
【三浦】10 月27日に完成したスケッチを基に作っているので11月です。このころはまだデザイン部に話をしていなかったので、仕方ないから自分で。
【後藤】完全な手作りですね。三浦が材木を持ってきたんですよ。
【三浦】ウチの近所に手づくり家具屋さんがあって端材が捨てられるので毎日のように拾ってきて。
【後藤】その時には後々Dfとなるものを含めて数案を研究していました。あるものには竹の皮が似合うと言う思想で、私は家から竹の皮を持って来たこともあります。DNA検討初期ではそういう遊びもしていたわけです。
【アベ】このモックは完成品よりも厚みがかなり薄いですね。
【三浦】「本物はこんなに分厚いじゃないか、こんなに薄くできるならちゃんとやれよ」といつも言われますので、あまり出さないようにしているんです(笑)。
【アベ】まあ、最初から厚いのを作って、それが薄くなることはあまりないですから。
【後藤】最初は理想を追わなきゃ話になりませんものね。
【アベ】最終的にはデバイス的な関係で薄くできなかったと。
【三浦】結果的にはそうなりました。僕としては最初のスケッチの最初のモックに、ある程度先の話だからその辺の技術が進歩し、もう少し薄くなるだろうと。
【アベ】デバイスそのものが薄くなると。
【三浦】ええ。デバイスもあるでしょうし、配置の問題もあるでしょうし。他の技術も進化します。たとえば具体的な話だと液晶ではなくて有機ELにすれば幾分薄くなりますから。そういうのがある程度1年先、2年先には出てくるだろうから、まあ薄いスケッチとモックにしておこうと思ったわけなのですけど。
【後藤】もし本当に薄いのが作れるのであれば、他の一眼レフはみな薄くなっていますよね。そういう理想は追ってみたのですけれども、まだ我々の技術のなかでも、他のメーカーさんでもありませんね。ミラーレスなら別ですけど(笑)
【アベ】そうですね。ミラーボックス分は絶対に厚みが足されますからね。
【後藤】このモックができたあとにようやくデザイン部を仲間に入れました。初回の会議が12月25日。やはりデザイナーが居ないといけませんから。デザイナー自身にも多くの趣味がありますし、好みがあるし、得手不得手もありました。残念ながら発散状態で、モックを作るまでもない作品がいっぱいあったのは事実です。たくさんのいろいろな案を議論しましたけど、やはり三浦スケッチを基本にするのがベストということになりました。

画像: 薄いぞ! 最初の手作りモック

▲「斜めのNikonのロゴは、どうしてもDfには合わない。縦にしたかったのだが、使えない決まりがあった。当時のトップに見せたところ“いいじゃないか、ルールを変えれば”といってもらえて勇気が湧いた」(後藤談)

サラリーマンは根回しだ!

【後藤】そのあとモックを作り10年の3月30日に社内で各方面を集めてプレゼンをしました。「こういうことを検討しています」と、まだGOなどの段階の前に皆に見せたわけです。
【アベ】暗黙の了解事項にしようと。
【後藤】やはり社内の根回しですね、サラリーマンは(爆笑)
【アベ】そこが大変だったんですね。
【後藤】真っ向から勝負するとだいたい反発されますから。ちょっと様子を伺って味方を見極めて根回しをして…。
【三浦】社内プレゼンだって「ふーん」という感じで、ほとんど無視されていましたね。
【後藤】みんな遠巻きにして「なに?それ」と見ていた感じです。
【アベ】一口にニコンと言っても、いろいろな分野があって、いろいろな人がいるでしょうからね。
【後藤】そのプレゼンのときにトライしたことがあります。「Nikon」の旧文字のロゴです。ロゴを付け換えて披露しますと、やはりこのフォルムに斜めのロゴはちょっと力が抜けるという意見が多かったですね。そのときに、当時のトップが「やっぱり縦のほうがいいな」とひとこと。社内にはロゴ規定というしばりがあり、しかも斜め文字はそのロゴ規定にある基本的なものですから、旧文字の実現は厳しいと分っていました。「だけど使えないんですよ」と言ったら「いいじゃないか、ルールを変えれば」という案外気楽な話をもらったので、その時点でこれはイケるかなと思いました。このときのカメラには当時流行っていた『ロハス機』と名付けています。10月19日の時点でのニックネームは『軽かるFX』というものでした。とにかく力の要らない、気楽にいこうという思想でした。

順調だったらグランプリを獲り逃した!?

【アベ】でも実際には気楽にはいかなかった。
【三浦】やれ、いくらかかるの、スペックがどうの、じゃあなんの部品を使うの、という技術的な話から…売るの、買うの、生産工場、設計する人、ソフト…社内各部門のいろいろなメンバーを集めなくちゃいけない。それらにどのくらい日にちがかかるかという協議をして、ようやく商品化の話を詰めてもいいよという感じには至りました。ところが11年3月は東日本大震災、それからタイの洪水は10月…ニコンの一眼レフが市場からなくなりましたのでDfの開発などやっていられないですよね。仙台ニコン製の高級側のカメラが作れなくなり、ニコンタイランド製の普及機がなくなり…とにかくこれを現状に戻さないといけないと会社中が一生懸命になっていたわけで…けっきょくDfのチームメンバーが正式に再び集まったのが12年6月です。
【後藤】それから始まり発売は13年11月28日。
【アベ】順調に行っていたらD800と同じくらいですよね。D800と一緒に出ていたら両方に票が割れて、両方ともカメラグランプリ獲れなかったりして(笑)。
【後藤】今から考えますとそうですね。社内プレゼンのある資料には12年CP+で発表などと書きました。普通に開発していればその程度なのですよ。1年半から2年弱ぐらいでできます。結局そういう長い紆余曲折を経て本格スタートできました。
【三浦】ついでに言うと10年の秋にフォトキナがあって、そのときに富士フイルムさんがX100を発表しました。このおかげで「ああいうクラシカルな路線というのもありじゃないか」と社内の風向きがちょっと変わりました。そしてさらにOM-D E-M5が12年に発売されました。
【後藤】X100の評判は良かったので「おお、我々のもイケるぞ」と…と思ったら次にOM-Dが発表されましたので「ますますこのジャンルは間違いない」と思いました。先を越されたのは悔しいですが、内心ニヤニヤしながら待っていたわけです。

画像: 順調だったらグランプリを獲り逃した!?

撮影・解説:阿部秀之

本誌に撮影術を30年以上連載する、お馴染み「アベっち」。“撮って書いてしゃべって歌える”写真家。87 年からカメラグランプリ選考委員を務めている。

「後編」では開発者があきらめたところ、Dfの今後、アベっちの要望などを掲載します。

*本記事は月刊カメラマン2014年7月号に掲載された「カメラグランプリ2014大賞受賞記念 ニコンDf開発者インタビュー」を加筆修正して転載したもので、開発者の所属などは当時のままです。

This article is a sponsored article by
''.