「Stay home」の時は、じっくりと自宅で撮影に専念してみませんか? 各ジャンルのエキスパート写真家が、その撮影ノウハウをアドバイスしてくれました。「セルフポートレート編」は上野修さんです。

セルフポートレートで独自の表現を切り開いた3人の作家

セルフポートレートというと、難しく考えてしまうかもしれないが、そんな必要はない。カメラを持つ自分がいれば、どんな時でも撮れる。それがセルフポートレートなのである。ここでは、元祖自撮りのリー・フリードランダー、元祖なりきり系のシンディ・シャーマン、定点観測自撮りの土田ヒロミという、違ったアプローチで、独自の表現を切り開いてきた、3人の作家を紹介する。

おうちのなかでも、アイデア次第で、セルフポートレートが撮れることがわかるだろう。真似から入ってみるのもよし、アイデアをミックスしてみるのもよし、まずは、とにかく撮ってみることが重要だ。自分自身ほど、オリジナリティに満ちた被写体はない。身体とカメラを動かしているうちに、きっとあなたならではの、新しいセルフポートレートが生まれてくることだろう。

リー・フリードランダー「Self Portrait」

セルフポートレートの広がりを、遊び心とともに教えてくれるのが、リー・フリードランダーの「Self Portrait」。セルフタイマーを使ったり、手を伸ばしてカメラを自分に向けたりという撮り方はもちろん、鏡や窓に映った自分を撮ったり、自分の体の一部分や影を撮ったり、それらのパターンを組み合わせたり、とにかく何でもアリ。

画像: リー・フリードランダー「Self Portrait」

そもそも、画面に自分が写り込んでしまうというのは、典型的な失敗写真なわけだが、あえて電球に自分の顔を重ねた写真など、失敗の面白さを逆手にとっているアイデアも多いのが痛快だ。こうした写真を1970年にまとめているのがスゴイ。自撮りの元祖と呼びたくなる。

画像: ▲フリードランダーはこの写真集のあとも、延々とセルフポートレートを撮り続けている。"Lee Friedlander"と"Self Portrait"で画像検索してみると、近作まで見ることができる。

▲フリードランダーはこの写真集のあとも、延々とセルフポートレートを撮り続けている。"Lee Friedlander"と"Self Portrait"で画像検索してみると、近作まで見ることができる。

「カメラとは単にものを映す水たまりであるわけではなく、写真もまた必ずしも鏡であるわけではない。その鏡は、もつれた舌によって語りかけてくるのである」と、フリードランダーはいう。モノクロで表現された複雑なイメージは、イマドキのインスタ映えとは真逆だが、見れば見るほど味が出てくる不思議な魅力がある。セルフポートレートの迷宮に誘ってくれるシリーズだ。

シンディ・シャーマン「Untitled Film Still」

 誰かになりきって扮装して撮るセルフポートレートは、さまざまな作家が試みてきたが、この世界にチャレンジしてみたい人にオススメなのが、元祖なりきり系のアーティスト、シンディ・シャーマンによる「Untitled Film Still」。B級映画のワンシーンという設定で、登場人物に扮して撮影したシリーズだ。

画像: シンディ・シャーマン「Untitled Film Still」

最近では、「セルフィーなんて大嫌い」といいつつ、さまざまなアプリを用いたセルフポートレートをインスタグラムにアップしているので、チェックしてみよう。

画像: ▲家にいる時間が増え、ネットフリックスなどで、映画やドラマを見まくってる人も多いだろうから、元ネタは無限にある。誰に扮してどう撮ろうかと考えながら映画やドラマを見ると、セッティングやライティングのレッスンにもなるに違いない。

▲家にいる時間が増え、ネットフリックスなどで、映画やドラマを見まくってる人も多いだろうから、元ネタは無限にある。誰に扮してどう撮ろうかと考えながら映画やドラマを見ると、セッティングやライティングのレッスンにもなるに違いない。

土田ヒロミの「Aging」

遊び心やら扮装やら、なかなかそんな気分になれないという人は、土田ヒロミの「Aging」を参照してみたらどうだろう。1986年から現在まで、定点観測のように撮影され続けているセルフポートレートは、特に工夫があるわけではない。ところが、その証明写真のような写真が量として重なってくると、表現としての深みが生まれてくるのだ。

画像: 土田ヒロミの「Aging」

写真は「今」しか撮れないメディアだといわれるが、その「今」が連なることで物語が生まれてくる。年単位での顔の変化に人生が浮かび上がるのはもちろんだけれど、ほどんど変化がないような連続性にも日常の物語が照らし出され、撮影されていない空白には何があったのだろうと考えさせられる。

画像: ▲日録というコンセプトはありふれているが、ひたすら継続することで、生きるという現実がコンセプトを超えていくのが感動的だ。

▲日録というコンセプトはありふれているが、ひたすら継続することで、生きるという現実がコンセプトを超えていくのが感動的だ。

一日一枚、カメラの前に立ってシャッターを切ることは、生活のペースを作ることにもつながるだろう。継続は力、百里の道も一足から。これを読んだ今日から、あなたもぜひはじめてみてはいかがだろうか。

撮影・解説:上野修

1964年生まれ。1987年から89年にかけて『TREND '89現代写真の動向・展』(川崎市市民ミュージアム)などの企画展・グループ展に出品。同じく87年頃より、カメラ雑誌を中心に写真評論をはじめる。2013年、日本写真協会学芸賞受賞。

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